2-2 日本とフィリピン、日常生活の違いはどこから生まれるのか

フィリピン・ドゥマゲッティの街中を走るトライシクルやバイク、歩行者の様子を描いたサムネイル画像。 暮らしと現地社会

海外で暮らしていると、日本では当たり前だと思っていたことが、必ずしも当たり前ではないと気づかされます。

時間の感覚、人との付き合い方、仕事の進め方、公共の場での振る舞い。日本とフィリピンでは、日常生活のさまざまな場面で違いを感じます。

最初のうちは、その違いに戸惑うことも少なくありません。日本で身につけてきた感覚で物事を判断すると、「なぜ、そうなるのだろう」と不満を感じることもあります。

私が暮らしているドゥマゲッティでも、そうした場面は日常の中にあります。

ただ、長く暮らしていると、単純に「日本のほうが正しい」「フィリピンはいい加減だ」と考えるだけでは、見えてこないものがあることにも気づきます。

今回は、ドゥマゲッティでの生活を通して感じてきた、日本とフィリピンの日常生活の違いについて、特に交通事情を例に考えてみたいと思います。

のんびりした街の日常と、道路で見かける意外な光景

私は以前、ドゥマゲッティの人たちには、のんびりとしていて素朴なところがあると書きました。

実際、日常生活の中では人との距離が近く、気軽に声をかけ合える雰囲気があります。多少のことにはこだわらず、自然体で暮らしているように見える人も多くいます。

ところが、乗り物の運転となると、私にはまったく違う一面が見えてきます。

特にバイクの運転は、かなり乱暴に感じることがあります。

反対車線をある程度の距離にわたって走っていたり、ウインカーを出したまま反対側に曲がったりする。バイクに4人乗っている光景も珍しくありません。小学生くらいに見える子どもが運転しているのを見かけたこともありますし、ナンバープレートが付いていないバイクを見かけることもあります。

もちろん、私が目にしているのは、ドゥマゲッティでの限られた経験です。すべての運転者がそうだと言うつもりはありません。

それでも、日本の交通環境に慣れてきた私にとっては、驚くような光景が日常の中にあります。

街を歩いているときには、のんびりしていて素朴だと感じる人たちが、道路に出ると、なぜこんな運転をするのだろうと思うほど大胆になることがあります。

この違いは、いったいどこから生まれるのでしょうか。

ルールを守らないのか、それとも十分に知らないのか

こうした運転を見ていると、最初はマナーの問題だと考えたくなります。

交通ルールを守らない。周囲の安全を考えていない。自分が行きたい方向へ、自分の都合で走っているように見えるからです。

しかし、しばらく観察しているうちに、別の可能性も考えるようになりました。

そもそも、運転に関するルールやマナーを、どこまで理解しているのだろうか、という疑問です。

私は、運転免許を持っていない人も少なくないと聞いたことがあります。また、仮免許に相当する段階の許可だけで運転している人もいる、という話を耳にしたこともあります。

ただし、実際に無免許運転がどれくらいあるのか、免許の取得にどのような手続きが必要なのかについて、私は正確な統計や制度上の情報を確認しているわけではありません。ここは、現地で私が見聞きした範囲の話です。

それでも、目の前の運転を見ていると、単に「マナーが悪い」という言葉だけでは説明しきれないのではないかと思うことがあります。

交通ルールを十分に学ぶ機会がなかったのかもしれません。周囲の人たちが同じような運転をしているため、それが特別なことだという認識がないのかもしれません。

もちろん、ルールを知らなければ危険な運転をしてもよい、ということにはなりません。道路では、自分だけでなく、ほかの運転者や歩行者の安全も関わってきます。

ただ、目の前の行動だけを見て、その人の性格や意識の問題だと決めつけてしまうと、その行動が生まれる背景を考えることができなくなります。

日本で暮らしていると、交通ルールを知り、守ることが社会生活の基本として身についている人が多いでしょう。だからこそ、そこから外れた行動を見ると、相手の意識の問題だと考えやすいのかもしれません。

しかし、ルールを知っていることと、ルールを守る習慣が社会全体に根づいていることは、同じではないのだと思います。

フィリピン・ドゥマゲッティの海沿いの道路風景。青空の下、トライシクルやバイクが行き交い、歩道を歩く人々や街路樹、赤い屋根の建物が並ぶ、日常の街並み。

取り締まりがあっても、日常の行動は変わるのか

現地では、交通取り締まりのためのチェックポイントを見かけることもあります。

一方で、知人同士の情報共有によってチェックポイントの場所を事前に知り、別の道を通るという話も聞いたことがあります。免許などに問題があっても、取り締まりを受けた後に比較的簡単に済んでしまう、という話を耳にすることもあります。

ただ、これらについても、私が制度や実際の処理を確認したわけではありません。聞いた話を、そのままフィリピン全体の実態として断定することはできません。

それでも、こうした話を聞くと、規則が存在することと、規則が日常の行動を変えることの間には、大きな隔たりがあるのだと感じます。

どれだけ規則を定めても、守ることが習慣になっていなければ、実際の行動はなかなか変わらないのかもしれません。取り締まりを避けることばかりが意識されるようになれば、規則が本来目指している安全の確保からも離れてしまいます。

これは、交通だけに限った話ではないでしょう。

社会の中にあるルールは、紙の上に書かれているだけでは十分ではありません。人々がその意味を理解し、日々の行動の中で共有して初めて、実際に機能するものなのだと思います。

日本の交通ルールが、どこでも共通の基準とは限らない

以前、誰かから「日本は交通ルールに関して、かなり厳しい国だ」と言われたことがあります。

その言葉を聞いて、少し考えさせられました。

日本で暮らしていると、交通ルールを守ることは当然のことだと感じます。信号を守る、決められた方向に走る、周囲を確認してから曲がる。こうした行動は、特別に意識しなくても身についている人が多いでしょう。

しかし、海外に出てみると、自分が当然だと思っていた基準が、世界のどこでも同じように共有されているわけではないと気づきます。

日本の交通環境が厳しいのか、フィリピンの交通環境が緩いのか。単純にどちらが正しいと決めることはできません。少なくとも、私が日本で身につけた感覚をそのまま海外に持ち込んでも、現地の状況を理解できないことがあります。

もちろん、交通の安全性という点では、危険な運転を容認することはできません。文化の違いだから仕方がない、と片づける問題でもありません。

違いを理解することと、その違いを無条件に認めることは別の話です。

なぜ、このような行動が起きるのか。どんなルールがあり、どのような運転習慣が広がっているのか。そこを考えることで、単なる怒りや批判とは違う見方ができるようになります。

異国の道路を走らせてもらっている、という感覚

正直に言えば、ドゥマゲッティの道路で危険な運転を見かけると、今でも腹が立つことがあります。

こちらが安全に走ろうとしていても、予想外の方向からバイクが来ることがあります。日本の感覚では考えにくい動きをされると、どうしてそんな運転をするのかと思ってしまいます。

ただ、そこでいつまでも怒っていても、目の前の交通環境がすぐに変わるわけではありません。

私は、フィリピンという外国で暮らし、そこで生活をさせてもらっています。自分が慣れ親しんだ日本とは違う環境に身を置いている以上、自分の基準だけで周囲を判断していても、うまくいかないことがあります。

だからといって、危険な運転を我慢して受け入れなければならない、ということではありません。自分の安全を守るための注意は必要ですし、危険な状況を避けることも大切です。

そのうえで、目の前の出来事に腹を立てることと、その出来事について考え続けることは、分けてみてもよいのではないかと思います。

危険な運転を見て腹が立つ。それは自然な反応です。しかし、その怒りをいつまでも引きずっていても、自分の生活が楽になるわけではありません。

「ああ、今、自分は不満に思っているな」

そう気づいたら、必要な注意はしながら、それ以上は考え続けない。最近は、そんなふうに自分の気持ちと距離を取ることを意識しています。

海外生活では、日本と違うことに何度も出会います。そのたびに怒り、相手を変えようと考えていたら、いくら時間があっても足りません。

自分にできることと、自分では変えられないことを分ける。そのほうが、現実的に暮らしていけるのだと思います。

日常生活の違いは、社会の成り立ちを考えるきっかけになる

日本とフィリピンの日常生活には、さまざまな違いがあります。

時間の感覚、人との距離、仕事の進め方、交通ルールへの向き合い方。日本で暮らしてきた人にとっては、戸惑うことも、腹が立つこともあるでしょう。

しかし、その違いを単に「日本はきちんとしている」「フィリピンはいい加減だ」と評価するだけでは、そこで考えることが終わってしまいます。

なぜ違うのか。どんな習慣があり、どのような環境の中で、その行動が普通になっているのか。

そうした背景に目を向けると、目の前の出来事を別の角度から見ることができます。

もちろん、何でも文化の違いで説明できるわけではありませんし、危険な行動を見過ごしてよいわけでもありません。安全や他人への配慮が必要であることは、どこで暮らしていても変わりません。

それでも、自分の基準だけを唯一の正解だと思わず、違いが生まれる理由を考えてみることには意味があります。

海外で暮らすことは、現地の生活に慣れることだけではありません。自分がこれまで当然だと思ってきた価値観や習慣を、外側から眺め直す機会でもあります。

日本とフィリピンの日常生活の違いは、時に面倒で、時に不快で、時に理解しがたいものです。

それでも、その違いに出会うたびに、相手のことだけでなく、自分自身が何を当たり前だと思っているのかも見えてきます。

海外生活の面白さは、案外、そんなところにあるのかもしれません。

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