2-1 なぜドゥマゲッティで暮らすのか|海外移住先を選ぶときに見えてくるもの

フィリピン・ドゥマゲッティにあるシリマン大学周辺の風景。石造りの大学門、緑豊かな並木、赤い屋根の建物、花壇、キャンパスを歩く人々が見える南国の街並み。 暮らしと現地社会

なぜドゥマゲッティで暮らしているのか

「なぜドゥマゲッティに住んでいるのですか?」

こちらで暮らしていると、そんな質問をよく受けます。

フィリピンには、マニラやセブのような大都市もあれば、自然に囲まれた小さな町や島もあります。海外移住を考えるとき、どこを生活の拠点にするかは大きな選択です。

仕事の機会を重視するのか。生活費を抑えたいのか。自然の豊かさを求めるのか。それとも、日本とは違う環境で、ゆったりと暮らしたいのか。何を大切にするかによって、合う場所は変わってきます。

私の場合、最初からドゥマゲッティを移住先として選んだわけではありません。

まずマニラに5年間滞在しました。そこで妻と結婚し、2人の娘が生まれました。その後、妻の生まれ故郷であるセブに引っ越し、1年間暮らしました。そして、知り合いから仕事の誘いを受け、ドゥマゲッティにやってきました。

その仕事はすでに終わっています。それでも、結果的に私はこの街に住み続けています。今のところ、別の土地へ移る予定もありません。

仕事がきっかけで訪れた場所が、いつの間にか自分の生活の拠点になっていました。

では、なぜドゥマゲッティなのでしょうか。

理由はいくつもあります。ただ、街の環境だけでは説明できません。ここで暮らすうちに、自分自身が求めるものも変わってきたからです。

大都市の便利さとは異なる、地方都市の魅力

ドゥマゲッティの魅力の一つは、地方都市でありながら、街がこれから発展していく勢いを感じられることです。

マニラやセブのような大都市とは、街の雰囲気が違います。大都市には、大都市ならではの便利さや仕事の機会があります。一方で、都市化が進むにつれて、街の雰囲気や人々の暮らしも変わっていきます。

私には、ドゥマゲッティには開発が進んでいく活気と、地方都市ならではの素朴さが同時に残っているように感じられます。

これから変わっていく街の勢いがある一方で、まだ都会的に洗練されきっていない、人々の素朴な空気もある。そのギャップが、私には心地よく感じられます。

どこか日本の昭和時代を思わせるような感覚もあります。もちろん、当時の日本と現在のドゥマゲッティが同じだという意味ではありません。街の雰囲気や人々の暮らしの中に、個人的にどこか懐かしさを感じるということです。

すべてが整い、完成された街よりも、これから変わっていく余地のある街のほうが面白いと感じる人もいるでしょう。私にとって、ドゥマゲッティはそんな場所です。

自然が豊かで、全体的にゆったりした空気があることも、ここで暮らし続けている理由の一つです。

旅行者として訪れる場所と、実際に生活する場所は違います。旅行なら、多少の不便も特別な体験として楽しめるかもしれません。しかし、生活では同じことが毎日のように繰り返されます。

だからこそ、街の雰囲気や日常のリズムが自分に合っているかどうかが大切になります。私にとって、ドゥマゲッティのゆったりした雰囲気は、日々の生活を続けるうえで心地よいものになっています。

人との距離が近くても、気を使いすぎずにいられる

ドゥマゲッティで暮らしていて、日本との違いを強く感じることの一つが、人との距離感です。

私が日常で接してきたこちらの人々は、とても気さくです。こちらから話しかけても自然に応じてくれますし、初対面でも気軽に話しかけてくることがあります。ときには、こちらが少しうっとうしく感じるほど近い距離で接してくることもあります。

ところが、こちらがはっきり断ったり、距離を置きたいことを伝えたりすると、意外なほどあっさりしています。

断ったからといって、いつまでも気まずい雰囲気が続くわけではありません。少なくとも、私が日常で接してきた人々には、そうしたカラッとしたところがあります。この感覚が、私には心地よいのです。

日本では、相手に気を使うことが大切にされます。その配慮によって、人間関係が円滑になる場面ももちろんあります。

ただ、ときには相手がどう思うかを考えすぎたり、断る側も断られる側も気まずさを避けようとしたりして、必要以上に神経を使うことがあります。

私がドゥマゲッティで接してきた人々との間では、もっと率直に接しても、案外そのまま関係が続いていきます。

以前、出店している屋台の隣人と口論になったことがあります。日本の感覚なら、その後もしばらく気まずさが残るのではないかと思うような出来事でした。しかし、時間がたつと、また普通に笑って挨拶ができるようになりました。

こちらが相手の気持ちを考えて遠慮していても、相手はそれほど気にしていない。そんな場面もあります。

もちろん、すべての人に同じように当てはまるわけではありません。それでも、私が暮らしてきた範囲では、形式的な気遣いを必要以上に重ねなくても、人間関係が成り立つ場面が多いと感じています。

意見が食い違うこともあります。口論になることもあります。相手の考え方が理解できないこともあります。

それでも、毎回の出来事を人間関係全体の問題にまで広げる必要はないのかもしれません。その場で意見がぶつかったことと、その人と今後も付き合えるかどうかは、必ずしも同じ問題ではないからです。

こうした人との距離感も、私がドゥマゲッティで暮らす心地よさの一つになっています。

フィリピン・ドゥマゲッティにあるシリマン大学のキャンパス風景。石造りの正門と黒い鉄門、赤い屋根の校舎、緑豊かな並木や芝生、赤いハイビスカス、キャンパスを歩く学生たちが見える南国の風景。

暮らすうちに、豊かさの基準が変わった

ドゥマゲッティで暮らし続けている理由を考えるとき、街の環境だけでは説明できないことがあります。それは、自分自身の価値観が以前とは大きく変わったことです。

日本にいた頃、私には絶対に譲れないと思っていた価値観がありました。

背伸びをして手に入れた外車に乗る。高級な腕時計を身につける。ブランド物の服を着る。そうしたものを手に入れることに、価値を感じていました。

もちろん、物そのものが好きだった部分もあるでしょう。しかし、今振り返ってみると、それだけではありませんでした。周りの人と比べて、自分が何かを手に入れていること。その優越感も欲しかったのだと思います。

あの頃は、それが豊かさの一つの形でした。

ところが、今の生活はまったく違います。

毎日、よれよれの短パンにTシャツ。服装に気を使うことも、誰かにどう見られるかを考えることも、ほとんどありません。

晩酌も安い酒で十分です。誰に気兼ねすることもなく、飲みたくなればいつでも始められます。

以前の自分が今の生活を見たら、ずいぶん変わったと思うかもしれません。しかし、今の私は、その生活に不満を感じていません。むしろ、これまでの人生で一番リラックスしていると感じます。

格好をつける必要がない。周囲の人も、自分が思っているほど細かいことを気にしていない。そして、自分自身も他人の目を以前ほど気にしなくなりました。

誰かと比べて、自分が上なのか下なのかを考える必要がない。そうすると、不思議なことに、日常生活そのものがずいぶん楽になるのです。

手に入れたかったのは、物そのものだったのか

以前は、何かを手に入れることで、自分の価値を確かめようとしていた部分があったのかもしれません。

高級な物を持つことや、周囲からどう見られるかを意識することは、必ずしも悪いことではありません。好きな物を手に入れる喜びもありますし、仕事を頑張って欲しかった物を買うことが、人生の楽しみになる場合もあります。

私自身も、そうした価値観を持っていたからこそ、一生懸命に仕事をしてきた面があると思います。

ただ、いつの間にか、何を持っているかよりも、どのような気持ちで毎日を過ごせるかのほうが、自分にとって大切になっていました。

高級な腕時計を持っていることと、気持ちに余裕があることは別の話です。外車に乗っていることと、毎日を心地よく過ごせることも、必ずしも同じではありません。

物を手に入れる喜びがなくなったわけではありません。ただ、それがなくても十分に満足できる生活があると分かったのです。

ドゥマゲッティのゆったりした環境や、周囲の人々の気さくさは、そうした変化と無関係ではないと思います。

格好をつけなくてもいい。必要以上に他人の目を気にしなくてもいい。自分が自然体でいられる。そうした環境にいると、自分自身も自然とリラックスしてきます。

私は今、この街に暮らせていることに感謝しています。

それは、単に物価が安いからでも、便利だからでもありません。無理をせず、自然体で暮らせること。今の私にとっては、それが大きな価値になっています。

住む場所は、条件の比較だけでは決められない

海外移住を考えるとき、生活費、住居、仕事、医療、交通、気候、治安など、さまざまな条件を比較することは重要です。事前に調べておくべきことは多くあります。

しかし、条件を比較しただけでは分からないこともあります。

実際にその場所で生活してみて、初めて気づくことがあります。最初は気になっていた不便さが、それほど問題ではなくなることもあれば、旅行中には気づかなかったことが、生活を続けるうちに大きな問題になることもあります。

そして、街との相性は、街そのものの条件だけでなく、自分が何を大切にしているかによっても変わります。

便利さを最優先する人にとっては、大都市のほうが合っているかもしれません。自然やゆったりした生活を重視する人にとっては、地方都市のほうが心地よいかもしれません。

街の雰囲気だけでなく、人との付き合い方や、自分が不便さをどう受け止めるかによっても、暮らしやすさは変わってきます。

どこが一番よい街なのかという問いに、万人に共通する答えはありません。大切なのは、自分にとって何が心地よく、何が負担になるのかを知ることなのだと思います。

私が今もドゥマゲッティで暮らし続ける理由

私がドゥマゲッティに来たのは、仕事の誘いがきっかけでした。最初から、この街でずっと暮らそうと決めていたわけではありません。

しかし、実際に暮らし、仕事をし、人々と関わる中で、ここが自分に合っていると感じるようになりました。

街には発展していく活気がありながら、地方都市の素朴さも残っています。自然が豊かで、ゆったりした空気がある。そして、私にとっては、人との距離感も心地よいものです。

それに加えて、この街で暮らすうちに、何を持っているかよりも、どのような気持ちで毎日を過ごせるかを大切にするようになりました。

もちろん、不便なこともあれば、腹が立つこともあります。すべての条件が整っているわけではありません。

それでも、無理に格好をつけず、周囲と比べすぎず、自分らしく暮らせることが、今の私にとっては大きな価値になっています。

海外移住先を選ぶとき、どこが一番よい場所なのかを探したくなるかもしれません。しかし、実際には、誰にとっても一番よい場所などないのでしょう。

ある人には不便な場所が、別の人には心地よい場所になる。ある人が求める便利さを、別の人はそれほど必要としていないこともあります。

だからこそ、他人の評価や一般的なランキングだけで決めるのではなく、自分が何を大切にして暮らしたいのかを考える必要があります。

私にとって、その答えの一つがドゥマゲッティでした。

仕事をきっかけにやってきた街が、いつの間にか生活の拠点になっていました。これから先、街も自分自身も変わっていくかもしれません。それでも、今のところ、ここから別の土地へ移る予定はありません。

今までの人生で一番リラックスして暮らせる。それが、私がドゥマゲッティで暮らし続けている理由です。

お問い合わせ↓

タイトルとURLをコピーしました