日本で暮らしていると、便利であることは、暮らしやすさを考えるうえで重要な条件になります。
交通機関が時間どおりに動く。必要なものが近所で手に入る。銀行や行政のサービスを利用しやすい。こうした環境が整っていれば、日常生活で困ることは少なくなります。
フィリピンのドゥマゲッティで暮らしていると、日本とは違う部分がある一方、生活に必要なインフラはある程度整っていると感じます。少なくとも、私が暮らしている範囲では、日常生活に大きな支障が出るほど不便だとは思っていません。
ただし、細かなところでは違いがあります。そして、街が発展して便利になれば、それだけで暮らしやすさが増していくとも限りません。
私自身、海外生活を続ける中で、便利さと暮らしやすさは必ずしも同じではないと感じるようになりました。
便利であることと、気楽に暮らせることは違う
日本の生活には、多くの便利さがあります。
必要な商品をすぐに購入でき、サービスの質も安定している。決められた手順に従えば、物事が比較的スムーズに進みます。こうした環境は、日常生活を送るうえで大きな安心につながっています。
海外で暮らしてみると、日本の便利さがどれほどよく整えられたものだったのかを実感します。
ただ、便利さが増えることと、気持ちに余裕が生まれることは、必ずしも同じではありません。
生活に必要なものがそろっていても、周囲との比較が気になったり、人からどう見られるかを意識したりすれば、気持ちが休まらないこともあります。
反対に、多少の不便さがあっても、それを必要以上に気にせず、自分のペースで暮らせるなら、生活全体を心地よく感じられることもあります。
もちろん、不便さそのものがよいわけではありません。医療、交通、安全など、生活の基盤となる部分の不便さは、時に大きな負担になります。
それでも、暮らしやすさを考えるときには、便利さだけでなく、自分がどのような気持ちで毎日を過ごせるかという視点も必要なのだと思います。
郊外の暮らしも、少しずつ便利になってきた
私が住んでいるのは、ドゥマゲッティ市内から少し外れた、田舎のエリアです。
市内から離れると、細かなところで不便を感じることがあります。例えば、銀行のATMが少なかったり、深夜まで営業している店がなかったりします。都市部なら簡単に済ませられることでも、郊外では少し考えて行動する必要があります。
ただ、最近はこの周辺にも変化が出てきました。
いくつかのセブンイレブンができ、24時間営業でATMも利用できるようになりました。夜遅くなってからでも買い物ができ、現金を引き出すこともできます。
実際にそこで暮らしている者にとって、これはかなり便利な変化です。
郊外だからといって、生活に必要なものがすべて不足しているわけではありません。少しずつ環境が整い、以前よりも暮らしやすくなってきています。
こうした変化を見ると、街が発展することには、確かに大きな利点があると感じます。
しかし、便利になれば、それですべてがよくなるというわけでもありません。
夜中に店の前を通ると、バイクで集まってきた若者たちが、酒を飲みながら過ごしていることがあります。そうした光景を見ると、正直なところ、少し近寄りがたいと感じます。
もちろん、若者が集まっているからといって、何か問題があると決まったわけではありません。ただ、24時間営業の店ができたことで便利になった一方、深夜の店周辺には昼間とは違う雰囲気も生まれています。
便利さが増えることと、自分がいつでも安心して利用できると感じることは、必ずしも同じではないのだと思います。
それでも、私が暮らしている郊外の地域は、以前と比べてずいぶん暮らしやすくなってきました。
生活に必要な便利さは、ある程度手に入る。それでいて、都市部のように何もかもがそろっているわけではなく、田舎らしい環境も残っています。
私にとっては、このくらいのバランスがちょうどよいのです。
街が発展すれば、さらに店が増え、便利になっていくのでしょう。しかし、今の環境で十分に暮らせるのであれば、何もかもが変わってしまわなくてもよいと思っています。
この辺で止まってくれるとありがたい。そんなことを思いながら、今の暮らしを続けています。
物を持つことが、豊かさだと思っていた
以前の私は、今とは少し違う価値観を持っていました。
外国車に乗りたい。高級な腕時計が欲しい。ブランドの服を着たい。
もちろん、車や時計、服そのものが悪いわけではありません。気に入ったものを持つことには、それ自体の楽しさがあります。
ただ、当時の自分を振り返ると、物を手に入れることだけでなく、それを持っている自分が他人からどう見られるかを気にしていた部分もありました。
人よりよい物を持っていれば、少し優位に立てるような気がする。周囲と比べて、自分のほうが豊かだと思いたい。そうした気持ちが、物を選ぶ理由の一部になっていたのだと思います。
しかし、ドゥマゲッティで暮らすようになってから、そうしたことへの関心は薄れていきました。
今では、古くなった短パンとTシャツで過ごすことが多く、夕方になれば、安いお酒を飲みながら一日を終えます。特別に身なりを整えなくても、誰かにどう見られるかを気にすることもありません。
以前なら、もう少し格好をつけようと思ったかもしれません。
今は、それよりも気楽に過ごせることのほうが大切になりました。

人の目を気にしなくなると、生活はずいぶん楽になる
ドゥマゲッティで暮らしていて感じることの一つは、周囲の目を必要以上に気にせずに過ごせることです。
もちろん、現地にも人間関係があり、周囲からの評価を気にする人もいます。どこに住んでいても、人の目がまったくなくなるわけではありません。
それでも、私自身は、以前よりも自分の外見や持ち物を意識しなくなりました。
毎日、何を着るかで悩む必要もありません。高価な物を持っていることを誰かに示す必要もない。人と会うからといって、いつも立派な姿を見せようとする必要もありません。
自分が快適であれば、それでよい。この感覚は、私にとって大きな変化でした。
物を持つことや、身なりを整えることに価値がないと言いたいわけではありません。好きな服を着ることも、よい車に乗ることも、本人が楽しんでいるなら、それはそれでよいと思います。
ただ、それが他人との比較や見栄から生まれているのであれば、どこまでいっても満足できない可能性があります。
自分より高価な物を持つ人が現れれば、また欲しくなる。人からどう見られるかを基準にしていれば、いつまでも他人の評価から自由になれません。
そのことに気づいてから、私は、物を増やすことよりも、自分が気楽に過ごせる時間を大切にするようになりました。
不便さに腹を立てても、すべてを変えられるわけではない
もちろん、ドゥマゲッティでの生活が、いつも快適というわけではありません。
日本ならスムーズに進むことが、思うように進まないこともあります。現地の人とのやり取りで、こちらの考えていたとおりにならないこともあります。
そうしたとき、日本で身につけた感覚を基準にすると、不満が出てきます。
「なぜ、普通にできないのだろう」
「どうして、こちらの考えたとおりに進まないのだろう」
そう思うことは、今でもあります。
しかし、海外で生活している以上、自分の希望だけですべてを動かせるわけではありません。自分の考え方や行動を変えれば解決することもあれば、自分ではどうにもならないこともあります。
そこで毎回腹を立てていても、自分が疲れるだけの場合があります。
私は最近、自分が不満を感じていることに気づいたら、その感情を必要以上に引きずらないようにしています。
不満を感じること自体を否定する必要はありません。ただ、その出来事を何度も思い返し、怒りを大きくしていく必要もないと思っています。
もちろん、安全やお金、契約など、きちんと対応しなければならない問題は別です。必要なことは確認し、改善できることは改善する。
そのうえで、変えられないことまで抱え込まない。こうした考え方は、海外生活を続ける中で、少しずつ身についてきたものだと思います。
暮らしやすさは、住む場所と自分との相性で変わる
海外移住を考えるとき、気候、物価、治安、医療、交通、教育環境など、さまざまな条件を比較することになります。
それらは、生活する場所を選ぶうえで重要な判断材料です。特に家族で移住する場合には、子どもの教育や医療、安全性など、慎重に確認しなければならないことも多くあります。
ただ、条件を比較するだけでは、実際に暮らしたときの感覚までは分かりません。
ある人にとっては大きな魅力になる環境が、別の人にはストレスになることもあります。
便利さを最優先する人にとっては、サービスが安定し、必要なものがすぐ手に入る都市のほうが暮らしやすいかもしれません。一方で、多少の不便さがあっても、自然に囲まれた環境や、人との距離が近い暮らしを好む人もいます。
どちらが正しいという話ではありません。
大切なのは、自分が何を求めているのかを知ることだと思います。
物質的な豊かさなのか。時間の余裕なのか。人間関係の心地よさなのか。それとも、周囲と比較せず、自分のペースで生活できることなのか。
自分が大切にしたいものが分かれば、住む場所を選ぶ基準も変わってきます。
今の私にとっての豊かさ
今の私にとって、豊かな暮らしとは、必ずしも多くの物を持つことではありません。
古い短パンとTシャツで過ごし、夕方には安いお酒を飲む。誰かに見せるために身なりを整える必要もなく、周囲と自分を比べることもない。
もちろん、生活に必要なものが手に入り、安心して暮らせることは大切です。
そのうえで、自分が必要以上に気を張らず、自然体でいられること。それが、今の私にとって大きな価値になっています。
以前の私は、何かを手に入れることで、より豊かになれると考えていたのかもしれません。
今は、何かを手に入れることよりも、余計なことを気にせずに過ごせることに、豊かさを感じるようになりました。
ドゥマゲッティが、誰にとっても暮らしやすい場所だとは思いません。便利さやサービスの質を重視する人には、合わない部分もあるでしょう。
それでも、私にとっては、この街の環境が自分の価値観を変えるきっかけになりました。
暮らしやすさは、外から見た条件だけでは決まりません。
どれだけ便利な場所に住んでいても、他人との比較に追われ、自分らしく過ごせなければ、心から満足できないこともあります。
反対に、多少の不便さがあっても、自分に合った環境で自然体で暮らせるなら、それを豊かだと感じられることもあります。
便利さだけでは測れない暮らしやすさがある。
海外生活を通して、私が実感しているのは、そんなことなのだと思います。
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