はじめに:小さく始めるとは、投資を減らすことだけではない
新しく商売を始めようとするとき、多くの人は、まず店舗や設備、商品、仕入れ先などを考えるのではないでしょうか。
どこに店を構えるのか。どのような設備が必要なのか。どれくらいの資金を用意すればよいのか。
もちろん、事業の内容によっては、最初から一定の設備や資金が必要になることもあります。
しかし、必ずしも従来の商売と同じ形で始める必要はありません。
すでに持っているものを活用できないか。販売する場所を変えられないか。商品やサービスの提供方法を工夫できないか。
そう考えてみると、大きな投資をする前に、商売の可能性を試せる場合があります。
私がマニラでレストランを営業していた頃、ナイトマーケットへの出店を始めた経験があります。
それまでのレストラン営業とは違い、商品だけでなく、販売場所や容器、価格、提供方法まで変えました。
その結果、それまでとは違う顧客層から支持を得ることができました。
ただし、その市場は長く続きませんでした。ブームが落ち着くと客足は減り、最終的には出店をやめることになりました。
この経験から学んだのは、商売を始めるときには、最初にどれだけお金をかけるかだけでなく、どのような形で市場を試し、状況の変化にどう対応していくかも重要だということです。
1. 新しい店舗をつくる前に、販売する場所を変えてみる
マニラでレストランを営業していた頃、私はどこかで「フィリピンでは日本食は高級なもの」という価値観を捨てきれずにいました。
日本食を提供するのであれば、それなりの品質や見せ方が必要だ。安く提供することばかり考えるのは違うのではないか。
そんな思いがありました。
一方で、マニラで商売を続けていくには、価格を抑えながら、それなりの品質を維持していく必要も感じていました。
ちょうど2019年頃、マニラではBAGA Manilaをはじめとするナイトマーケットのブームが始まっていました。
屋外に店が並び、食べ物を買い、歩き回りながら楽しむ。そこには、お祭りのような開放的な雰囲気がありました。
私は、そのナイトマーケットに出店することを選びました。
それまでのレストランとは違う場所で、違う顧客に商品を届けることができるのではないか。そう考えたのです。
ここで重要だったのは、新しいレストランを一からつくるのではなく、すでに経験していた飲食の仕事を、別の販売場所と方法で展開してみたことでした。
新しい商売を始めるとき、必ずしも新しい店舗や設備を用意する必要はありません。
今ある経験や資源を使い、別の場所で試してみる。それも一つの事業の始め方だと思います。
2. 商品の価値を守りながら、売り方を変える
ナイトマーケットに出店するにあたり、私は従来のレストランと同じ形ではなく、気軽に購入してもらえる販売方法に変えていきました。
価格を下げるだけでなく、容器も紙カップなどに変更しました。
それまでのレストランで提供していたものを、そのまま同じ形で販売するのではなく、ナイトマーケットの雰囲気や利用する人に合うように工夫したのです。
屋台で紙カップに入ったラーメンを、手頃なペソ価格で買う。
高級な日本食というイメージとは違いますが、ナイトマーケットの開放的な雰囲気には合っていたのだと思います。
結果として、安く気軽に食べられる日本食が受け、お祭りのような空間の中で、ローカルの中流層から支持を得ることができました。
日本人の同業者からは批判もありました。しかし、実際に売上は出ました。
今振り返ると、私は日本食に対して自分が持っていたプライドや固定観念を、いったん脇に置くことができたのだと思います。
プライドを捨てたら、売上が拾えた。
少なくとも、このときはそうでした。
自分が大切にしている商品やサービスの価値を守ることは必要です。しかし、その価値をどのような形で顧客に届けるかは、別の問題なのかもしれません。
価格を決めるときにも、単に安くすればよいわけではありません。顧客にとっての価値と、事業として必要な利益の両方を考えることが大切です。詳しくは、小さなビジネスの価格戦略でも取り上げています。
品質を維持することと、提供方法を変えることは両立できます。
大切なのは、従来の形にこだわりすぎず、顧客が利用しやすい形を考えることだと思います。
3. 商品だけでなく、販売場所と体験を設計する
この経験で気づいたのは、料理そのものの価値だけで商売が決まるわけではないということです。
レストランで食べるラーメンと、ナイトマーケットで紙カップに入ったラーメン。
同じラーメンでも、買う場所も、価格も、容器も、食べるときの雰囲気も違います。
ナイトマーケットでは、食事だけでなく、屋外の開放感やお祭りのような雰囲気、気軽に買える価格も含めて楽しんでもらえたのではないでしょうか。
顧客が商品やサービスそのものではなく、そこから得られる体験や結果に価値を感じることもあります。顧客が何を求めているのかを考える視点については、小さなビジネスにおける顧客価値の記事でも詳しく取り上げています。
私はそれまで、日本食としての品質や価値をどう維持するかという視点から考えていました。
しかし、顧客の側から見れば、何を、どこで、いくらで、どのような気分で楽しめるのかということも、購入を決める大切な要素だったのです。
これは飲食店だけの話ではありません。
同じ商品でも、販売する場所を変えることで、違う顧客に届くことがあります。サービスであれば、提供する時間や方法を変えることで、利用しやすくなることもあります。
新しい設備や店舗を増やす前に、今ある商品やサービスの届け方を見直してみる。
そこに、新しい商売の可能性が生まれることもあるのだと思います。
4. 小さく試すことは、必要な投資まで削ることではない
今回の経験を通じて、もう一つ考えるようになったことがあります。
それは、小さく始めることと、単純にお金を使わないことは違うということです。
必要なものまで削ってしまえば、商品やサービスの品質が落ちることもあります。顧客にとっての価値まで失ってしまえば、商売としての意味がなくなります。
一方で、従来の形を維持するためだけに、必要以上の費用をかけていることもあるかもしれません。
たとえば、販売する場所を変える。容器や包装を見直す。最初から大きな店舗を構えるのではなく、既存の設備や販売機会を活用する。
そうした工夫によって、事業の始め方や運営方法を変えられる場合があります。
私の場合も、すでにレストラン営業の経験があり、その仕事を別の場所で展開する形でナイトマーケットに出店しました。
これは、何もないところから新しい事業を立ち上げた経験とは違います。
そのため、この経験だけをもとに、「少ない資金があれば誰でも同じように始められる」とは言えません。
ただ、商売を始めるときに、最初から大きな投資をすることだけが選択肢ではないということは、実感として学びました。
大切なのは、何にお金を使い、何を今あるもので代用できるのかを考えることです。
初期費用を抑えることと同時に、開業後の資金繰りも考えておく必要があります。売上が入る時期と支払いの時期が合わなければ、事業を続けることが難しくなる場合があるからです。小さなビジネスの資金繰りも、あわせて参考にしてください。
お金をかけないことを目的にするのではなく、必要なところにお金を使い、不要な投資を減らす。
それが、小さく始めるという考え方の基本なのだと思います。

5. 一時的に売れる市場と、続けられる市場は違う
ナイトマーケットへの出店は、私にとって意味のある経験でした。
自分が持っていた価値観を変え、売り方を工夫することで、それまでとは違う顧客層に商品を届けることができました。
しかし、ナイトマーケットの状況は、そのままでは続きませんでした。
1年もすると、マニラ一帯に広がっていたナイトマーケットの数は縮小していきました。
ブームが落ち着き、市場そのものが変化していったのだと思います。それに伴い、客足も減っていきました。
当時、私は掛け持ちで4か所のナイトマーケットに屋台を出していました。
夕方には大きな荷物をそれぞれの会場へ搬入し、夜の12時頃になると、今度はすべての場所へ撤収に行く。
出店するのは金曜日と土曜日の2日間だけでしたが、もともとのレストランも通常どおり営業していました。そのため、実質的には休みのない生活でした。
売上が伸びていた頃は、商売が動いているという手応えがありました。
しかし、客足が減ってくると、同じ仕事を続ける意味も少しずつ変わってきます。
身体への負担も限界に近づいていました。
腰の痛みが強くなり、坐骨神経痛も悪化しました。車を運転することさえ、つらくなっていきました。
最終的には、ナイトマーケットへの出店をやめ、もともとのレストラン営業だけに戻しました。
ナイトマーケットのブームを捉えていた期間は、およそ1年だったと思います。
この経験で分かったのは、売れる市場を見つけることと、その市場が長く続くことは別の問題だということです。
一時的に顧客の支持を得られても、市場の環境が変われば、同じ売り方が通用しなくなることがあります。
海外で事業を行う場合は、市場の変化だけでなく、制度や現地事情など、自分だけではコントロールできない要素にも目を向ける必要があります。フィリピンで事業を行う際のリスクについては、フィリピンで事業を行う際に考えておきたいリスクも参考になります。
6. 売上だけでなく、運営の負担と継続性を見る
ナイトマーケットでの経験から、もう一つ強く感じたことがあります。
それは、売上が出ることと、事業を長く続けられることは同じではないということです。
ナイトマーケットでは、実際に顧客の支持を得ることができました。
しかし、そのためには複数の会場へ商品や道具を運び、夜遅くまで営業し、撤収作業をする必要がありました。
売上がある間は、多少の無理をしてでも続けようと思うかもしれません。
しかし、市場が縮小して売上が落ちてくれば、同じ労力をかけ続けることが難しくなります。
さらに、自分の身体に負担が蓄積していけば、事業そのものを続けられなくなる可能性もあります。
小さなビジネスを考えるときには、初期費用や売上だけでなく、日々の運営にどれだけの時間と労力が必要なのかも考えておく必要があります。
自分一人で抱え込まず、仕事の一部を人に任せる方法を考えることも、継続性を高める選択肢です。小さなビジネスで仕事を人に任せることについては、こちらの記事で整理しています。
自分一人で対応できるのか。人に任せられる部分はあるのか。市場が変わったときに、別の方法へ切り替えられるのか。
始めるときの規模だけでなく、日々の運営や撤収を含め、続けるときにかかる負担まで考えることが大切なのだと思います。
自分が無理なく続けられるかどうかも、事業の重要な条件です。
売上があるからといって、身体や生活を犠牲にしてまで続けることが、必ずしも正しいとは限りません。
7. 小さく始めるとは、変化に対応できる形をつくること
ナイトマーケットへの出店を振り返ると、私が学んだのは、単に安く販売すればよいということではありませんでした。
自分が持っていた思い込みを見直し、顧客に合わせて商品や売り方を変えること。
すでにある経験や資源を活かし、新しい市場で試してみること。
そして、市場が変化したときには、事業の形や自分の働き方も見直すこと。
そのすべてが、小さなビジネスをつくり、続けていくための判断なのだと思います。
大きな店舗や設備を用意する前に、今あるものを使って試せることはないか。
最初から完璧な形をつくろうとするのではなく、実際に顧客の反応を見ながら、必要なものを少しずつ整えていく。
そうした進め方も、仕事をつくる一つの方法でしょう。
ただし、小さく始めたからといって、必ずうまくいくわけではありません。市場には変化があり、予想どおりにいかないこともあります。
だからこそ、最初に大きな投資をするかどうかだけでなく、うまくいかなかったときにどう見直せるか、どこで方向転換するかも考えておきたいところです。
マニラのナイトマーケットでの約1年間は、私にとって商売の可能性と難しさの両方を学んだ時間でした。
おわりに:小さく始め、現実に合わせて商売を育てる
小さなビジネスを始めるとき、最初から大きな資金や設備を用意することだけが正解ではありません。
海外で仕事や事業を始める場合には、現地の制度や商習慣、市場環境など、日本とは異なる条件も確認しておく必要があります。海外で小さなビジネスをつくることについても、別の記事で考えています。
自分がすでに持っている経験や資源を活用し、販売する場所や方法を工夫することで、新しい顧客に出会える可能性があります。
一方で、一時的に売上が伸びても、その市場がいつまでも続くとは限りません。事業を続けるためには、市場の変化だけでなく、自分自身の時間や体力にも目を向ける必要があります。
私がマニラのナイトマーケットで経験したのは、商売の形を変えることで可能性が広がること、そして、その可能性を長く維持することの難しさでした。
小さく始めるとは、単に規模を小さくすることではありません。
自分が持っているものを活かし、顧客の反応を確かめながら、現実に合わせて商売の形をつくっていくことなのだと思います。
最初から完璧な事業をつくろうとするのではなく、試し、学び、必要に応じて変えていく。
その柔軟さこそが、小さなビジネスを始め、続けていくために大切なのではないでしょうか。
お問い合わせ↓


